人が幸せになる道があるとしたら、

人が幸せになる事と言うのは、なかなか難しくて、なかなか簡単には言えないのですが、とても重要な事として隣人や友人や恋人の存在があります。

そこで重要なのはやはり、ちゃんと会話して、相手を理解していけるかに尽きると思います。

それは何のことは無い、ちゃんと理解できない事は相手に聞いて、分かったつもりにならずに、相手を分かろうと努める事でしょう。
分かったつもりにならない、というのは相手との確認に至らなければ判断を留保しておく、という事でもあり、それがちゃんと相手に聞く→正しい理解に繋がっていく、という事でもあります。

そこで、分からないのに相手の解説やら評論に至ると、理解に至ってないのに勝手な像を作る事になるのだから、何かが生まれたつもりで、何も生んでいない事になります。
何故か、その状態で延々相手との会話に至らないまま、評論を続ける例を見ると、多分、この人は相互理解などはしたくないのだなあ、と思います。

勿論、大きな壁があって理解を妨げてしまっている事はあるし、それが永続的なものとなって、永遠に理解不能の状態になってしまう事はあります。それが努力した結果であるなら、仕方がないと思います。

問題は努力した末でもないのに、そんな状態かどうか、という事にあります。努力していないのであれば、理解した隣人が居ないのは当然の事とも言えます。そういう人には私は同情しません。会話の無い、自らの行動が招いた道だと思うから。

ちゃんと、人と出会い、幸せになる道があるとしたら、ちゃんと会話をして、常に相手を理解しようと試みる以外の道は無いのです。