人が幸せになる道があるとしたら、 - luckdragon2009’s blog(日々のスケッチブック) からの続き。
前章では、人が幸せになるために隣人を得るにはちゃんと会話をする事が大事だよ、という話をしました。
純粋に人が善意のみで行動するなら、それだけで良いのですが、長く人生を歩んでいるとそうでも無いことに気づきます。
会話の言葉に嘘が無いか、もしくはなかなか分からない部分に不誠実な事実がないかどうか、それを確かめる事も大事になってきます。
これは悪意あるケースの中でも出会う確率が一番多いと思うのですが、何の気なしに出会い普通に会話した後、相手の意図が特定商品の販売だったり、詐欺的行為だったり、宗教や政治的な勧誘だったり、という事が判明したりする場合があります。
出会ったばかりでは、相手の情報をあまり知らない事が多いので、そういう事態に陥る事もそれなりにあり得ます。相手の情報を周囲の人から得る事が出来ていた場合には識別し、そういう相手を排除することもできますが、そういう相手は巧妙に不利益な情報を隠していたりします。
悪意ある人間がある程度は居る事を考え、最低限のチェックをしておいた方が、そういった問題の発生を未然に防ぐことが出来るかも知れません。
相手と出会ったばかりで、相手の美点が沢山見えていた場合、特に異性で魅力的であった場合などは、そういう情報を得てもすぐに気持ちを抑える事が出来ない事もあるかも知れませんが、そこでちゃんとそういった「作為的な出会い」から逃れた方が、人生を不幸にしません。
人生は思うほど長くないので、そういった嫌な出会いはあまり長引かせない方が、後の人生を悪くしません。
これ以外でも、それなりに年齢を重ねた後の出会いで良くあるのは、ひとまず私自身の属性として未婚である前提の出会いの話をしますが、相手が既婚であった場合の話*1があります。
これも最初から相手が明確にそういった属性を明示していればいいのですが*2*3、そういった属性を意図的かどうかは分かりませんが明示しないままに距離を詰めてくる人もいて、結構怖いです。
先日も、やたらとまとわりついてくる女性が居て、そんなに悪い気持ちはしなかったのですが、よくよく確認すると既婚である事が判明し、どういう意図で近づいてきているのだろうかと、気分が悪くなってしまいました。
私自身が既婚か未婚かは確かに明示していなかったのですが*4、本人は自身が既婚である事は当然ながら分かっている訳で、どういうつもりなんだろうと考えてしまう訳です。
その程度は既婚者でも行動的に構わないと考えたのか。
私の個人的な感覚で考えた時には、少々距離が近すぎると思いましたけどね。だって、鼻を鳴らすような声、というか呼吸音を出しているのですから。既婚者であると判明した時に、少々びっくりしましたよ。私の方から距離を詰めてなくて良かったな、と。
彼女が勝手な行動をしている分には構わないですが、それが原因で彼女の配偶者に誤解されるのはちょっと勘弁です。
さしたる仲でもないうちに妙な誤解されて、血の気の多い奴に刺されでもしたら笑い話にもなりません。
...ほんと、これ「笑う処じゃない」よね。まじで笑えないです。
私の場合はその程度で済んでいる*5のですが、世の中には本当に既婚である事を隠し、不倫の間柄になってから、事実を曖昧に提示する悪意ある人も居て*6、話題となるのは男性が女性を騙すケースが多いようですが、もちろん女性が騙す事もあるようで。某有名人で話題になったのは女性でした*7。
そういった内容も恋愛での出会いには気を付けなければならないですね。
いずれにせよ、そういった悪意の方向からの相手の情報のチェックもしなければ、出会いを幸せな方向にもっていけないのは哀しい事ですが、この方向からの考察も大事な事です。
相手への好意が大きい時には、なかなか思いつくのも難しいとは思います*8が、相手と自分の仲を大事に思うのであればやはり一度はやってみなければならないでしょうね。