なぜ基礎を間違える?『女神(テミス)の教室〜リーガル青春白書〜 第三回』感想

ネタバレあります。ご注意ください。

黙秘権の議論?

第三回のテーマは「黙秘権」について議論してみましょう、というのがテーマらしい。

実際、事件などが報道されると逮捕段階で、「なんでこいつは真実を喋らない」とか暴論*1が出てくるので、まあ、この議論自体はよくある話です。
また、そういった事項が現実にどういう影響を及ぼしているのか、無くなったら何が起きるのか、という事を考えるのは大切な事だと思います。

ただし、それは黙秘権がどういう位置づけであるのか、を正確に知らせてから、の話ですね。

ドラマ説明と、その前提(刑事裁判の意味)

ドラマのディベートでは、冒頭で、事件要旨が述べられます。殺人事件に関して、事件前に事件発生個所とは別の場所で一緒にいる*2という理由で起訴?*3した事例です。彼が黙秘をして事件が迷宮入りしたと語られ、これを題材にして黙秘権が必要かどうかをディベートしよう、という事らしいです*4

この場合、刑事事件判決が出た訳でもないし、そもそも聴取された事実しか分かりませんので、そもそも、この人がどの程度の疑いを持てるのか、そもそも疑いを持てるほどの犯罪とのかかわりがあり得るのか、が全然わかりません。
この状態では、そもそも、この人が単に会って会話をした状態でも目撃証言は発生し得る事をよく覚えておいてください*5

この状態で、黙秘権の議論となる対象者は、一般的には被疑者と呼ばれます。

さて、刑事事件の原則ですが、刑事事件の被疑者は『犯罪を犯した事に対して「合理的な疑問を残さない程度」には疑いがない事を証明』しなければ、無罪となる、という刑事裁判の仕組みで、有罪か無罪かを決められます。
また、この事により、有罪と決定づけられるまでは無罪と推定する「推定無罪原則」に従います。

簡単に言えば、刑事裁判判決で有罪が出ていなければ無罪です、という事です*6*7
つまり、この状態では無罪です。

人間は神様ではありませんから、物事に絶対的な洞察力を発揮する事はできません。ここで出てくる登場人物は被疑者に過ぎず、もちろん殺人事件の加害者かどうかは「分からない」のですね。

さて、この前提を述べた後に、ドラマの中のディベートについて考える訳ですが、ここで登場人物が何を述べたのか振り返ってみましょう。ここでは疑問を強く感じた物だけを抜き出してみました。

  1. 話さなければ事件の真実は分からない。
  2. (前項と似た内容ですが)被害者は、加害者が真実を語るのを望んでいる。
  3. そもそも、黙秘権は行き過ぎた加害者擁護*8
  4. ここで犯罪者を野放しにすれば、次の犯罪が起きる。
  5. 我々(法律家?)に必要なのは犯罪者に罪を償わせる事。
  6. (これは黙秘権の肯定の立場からの)無能な法律家の言い訳

刑事裁判の基本(推定無罪原則、刑事事件判決の意味)を無視。

これらの意見を紹介する前に、刑事裁判の基礎的な内容に触れておきました。その前提から、これらの意見を考えると奇妙な事に気付きます。

何故か真犯人だと分かってはいない被疑者が持っている黙秘権について、まるで真犯人かのように語ってしまっているのですね。
たまに、被疑者を被告人と呼ぶ意見もありましたが、やたらと加害者、犯罪人と呼ぶ意見に強い違和感を感じます。

本来、黙秘権は裁判で犯罪者かどうかを判定する対象の「被疑者」の話です。

そこの議論の出発点がそもそも変なのですから、1. ~ 5. の項目は的外れです。犯人でなければ事件の詳細は知りませんから。ですから、そもそも事件の真実を語れるかどうか、は分かるはずがありません。

語れるのは推理小説か何かの中に登場する都合の良い犯人だけでしょう。飛び降りやすい崖を背に声高に語るアレですね。物語ですから犯行行為も既に語られ、読者が犯人だと知っている被疑者です。

推理小説やフィクションなら分かりますが、ここで述べられているのは現実に存在する刑事事件の被疑者の話なのですから、そもそも、犯人でない人が語れる事実なんて無いでしょう。

加害者が語る事を望んでいる、とありますが、被疑者が加害者かどうかも分からない以上、これも無意味です。そもそも、いつから被疑者が加害者にすり替わっちゃったんでしょうか。論理構成が甘くありませんか。

行き過ぎた加害者擁護論もそうですよね。これを言うなら被疑者が加害者であることを証明しなければなりませんが、議題にそんな定義はあったように見えません。
その後の加害者が犯罪者に変わった論法(4. 5.)も同様です。これが問題になるのは被疑者が犯罪者の場合であって、それが明示できていない以上、例えば犯罪者ではなかった被疑者を有罪にし、結果として真の真犯人を野放しにした状態でも容易に成り立つ内容です*9

これらのように、一部の論説はそもそも出発点を間違えています。黙秘権は被疑者のものですから、加害者のものとするためには、被疑者が総て加害者であることを証明しなければなりませんが。
そして、被疑者がイコール加害者でないという前提は、そもそも刑事裁判の基礎論のところなんですから、そんな論述をしてしまうのはおかしいですし、学生たちが間違えるにしても、先生が正すのが普通なのではないですか。ドラマの中では、最後まで何も指摘がありませんでしたけど。

何かの感情を込めちゃった?

ここまでは変な部分の指摘です。
しかし、ドラマを観ていて一つ気がついたことがあります。ドラマ内でも類する描写がありますが、この描写の背景に「被疑者をそのまま加害者と誤認するような強い処罰感情」がありませんかね。

もしかして、議論の時に、そういう犯罪者を憎む本音が出ちゃったんでしょうか。
これは学生としての感情*10でも無ければ、俳優からでも無いですね*11。ドラマを作っているどこかに、そんな感情ないですか?
それはとても危険な感情だと思いますね。

犯罪者を憎むあまりに、疑わしい人を自白に追い込めばどうにかなる、と考え、犯人でもない人を自白に追い込むとどうなるか。

はい。真犯人でもない被疑者が検察側で述べられたストーリーをなぞった供述を述べる状況が発生します。つまりは冤罪の発生ですね。虚偽自白と言われ、精神的に危機的内容に追い込まれた状況で良く起こる、と言われます。

ドラマの中でも二回目の黙秘権の肯定側が、「虚偽自白」にほんの少し触れていましたから、危険性には気づいているらしい。

ただ、ドラマの全体像を観ると、本気でそれを考察しているとは思えないのですよね。ドラマの描写にも、被疑者を犯人だと思い込むことが、虚偽自白の原因になり得ることについて、ある程度の割合を割いて説明しているとは思えないので*12

黙秘権を議論する以前の問題

結局、ドラマではまともに黙秘権が述べられているとは思えませんでした。
黙秘権が正しく把握されていないのなら、議論の入り口にも立てません。意味不明なので、何を主張したかったのやら。

*1:だと思いますよ。これについては今回の記事のテーマにも重なるので後述します。

*2:死体発見場所は森、一緒に居たのを目撃されたのは近隣の街。被疑事実はこれしか語られない。実際、ロー生の向日葵さんが「森とは別の住宅街で目撃された...」と言及しています。

*3:迷宮入りした、としか書かれていません。起訴なのか不起訴なのかも書いてない。私が見落としただけか? こんなざっくりとした事件紹介ってあるかなあ...。

*4:この事もざっくりとしか語られない気がしたが、気のせいか。

*5:道を聞かれて、案内しただけなのかもしれませんよ?

*6:実は犯罪者とされる人間は、裁判で判定されただけで、真に犯人かどうかを証明された訳ではありません。刑事裁判の判例上、有罪と認められ得る証拠内容となれば有罪となる、という仕組みですから。人間は勿論神様ではないので、間違えていないか、というと、それは実は分かってはいません。

*7:なお、死刑執行者のなかに、実は犯人では無かったのではないか、という疑いが濃厚な方が、実際にいらっしゃるようですね。

*8:これだけにとどまらず、犯罪者には被害者が感じた以上の罰が与えられるべき、とも主張していましたね。この発言も方向性としては同じです。要は加害者だから保護の必要は無い、という論法です。事件報道などの際にも、よく口にされます。後述の理由から、誤った意見だと思いますが。

*9:真犯人が野放しなのですから、その結果、述べられたようにさらに犯行が重ねられる、という訳です。犯人かどうかの判断を間違える際、無実の人に罪を着せる事になりますが、これは真犯人が捕まっていない、という事も意味します。

*10:そもそもローの学生なのだから、刑事裁判の基礎は分かっていることが前提のはず。まさか、それすら分からない学生という前提?

*11:俳優は脚本通りに演じている筈。脚本を外れているのなら別ですが。

*12:あれで虚偽自白の内容を分かる人は、元々それを知ってた人くらいでしょう。疎い人には頭の片隅にも残らないかもしれないです。