映画の雑感二編、ネタバレなし - 「バッド・ジーニアス」「ノッティングヒルの恋人」

今回はネタバレは無いし、雑感程度の感想だが。
「バッド・ジーニアス」はカンニングを題材にした映画だが、サスペンスみたいな情景描写よりも対照的に描かれていた二人の優秀な学生が、共に貧しく、社会背景として、金銭に執着せざるを得ない、経済基盤の不安定さがあるのかなあ、とそちらの事が非常に気になった。
「ノッティングヒルの恋人」は、女優と平凡な一般の男性との恋愛顛末を描いているのだが、互いの境遇の相違を描いているのはともかくとして、最初に女優が簡単に男性に恋に落ちている部分が、ちょっと安易に感じた。恋に落ちるのはあり得るとは思うのですが、身近に存在する俳優の虚像に失望している、とか何らかの背景描写が無いと、「なんでそこで?」みたいな感想を抱いてしまう。

感想 - 映画「卒業」

何故か、肝心の物語をちゃんと語ってないで、略奪婚の部分だけ語られる「卒業」。一度、ちゃんと観た方が良いと思う。

そしてちゃんと観た後、この後のネタバレ感想を読む方が良いと思う。まあ、ネタバレしてても、観て損は無い、結構考えさせる映画ですが...。

以降、ネタバレあり。

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書籍「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」は、良かった。

感想は追々書くのですが。

広範囲に渡って、現在の科学文明がどういう基盤の知識を元に成り立っていて、それを失ったらどうなるかを予測できる、という点で非常に優れた教科書に成り得る、という良い書籍だったので、推薦の意味で、まずは記事にします。

後日、加筆の予定ですが、ひとまずはそれを書きたかったので。

面接官も、言動を注目されている事をお忘れなく

最近、人と会った時の話も聞く機会も、自身が人と会う機会も多めになっていて、そこで気がつくのは、意外に面談に訪問した相手も、特に年齢を重ねていたりすると、面接官の言動を良く見ている、という事。
相手が自分の言動をあまり良く聞いておらず、ピント外れになる会話をしてみたり、応募にあたって公開している情報を明らかに見ていない事が見て取れたり、果ては面接相手の言葉尻を捉えて説教に及んでみたり。
相手が緊張していて、自分の言動なんて意識しないだろう、とでも思っているのか、案外自身の言動をチェックしていない人が多いようで。そういう処で、面接官からその会社の状況が見えてしまったりもするのですが*1

もう少し、そういう部分も意識した方が良いのではないかなあ、と思った、最近の話題でした。
まあ、逆に言えば、そういう内容が出る事もあるので、ちゃんと相手の言動に着目して、うわべでは取り繕っている、表面に出ていない部分を探ってみるのも一興かも。

*1:圧迫面接なんか始めようものなら、そういう事を入社後、他の場面でもするのだな、と見られても仕方ない。

東京駅「KITTE」で、『キッテ』の贈り物 を聴く

東京駅近くのJPタワー商業施設「KITTE」のクリスマスツリー(14mくらいあるそうな)の前で、12/16(日)に、東京ヴィヴァルディ合奏団セレクトメンバーと、ソプラニスタ木村優一さんのミニ・コンサートがありました。
16:20の公演を横手で聴いていたのですが、音響設備のせいか、気分的にうまく乗り切れなかったか*1、少々迫力と言うか、音色的な色合いが欠けていて、心にあまり響かなかったのは残念。

木村優一さんのソプラノとしての生歌は初めて聴いたのですが、カウンターテナーと言うようなものではなく、本当に女声のソプラノ声なのですね。目をつぶって聞いていると、女性が歌っているように聴こえます。

中盤でグノーのアヴェ・マリアと、多分、ジュリオ・カッチーニアヴェ・マリアを歌ったのですが、グノーはともかく、カッチーニアヴェ・マリアの方がちょっと微妙で、アレンジのせいかちょっと高音側にずれていないかなあ、という感じがあった。
フル演奏を聴いたことはないので、コンサートなどでは良い演奏を聴かせてくれるのだと思いますが。多分、自分がいた位置の音響や、場所の雰囲気のせいもあるのかなあ、と思うので、本人の実力はこんな感じではないのだと思いますが、本日聴いた演奏は少々微妙な感じでした。

*1:ミュージシャン的な側面では、たまにあります。色々な要因が重なって、調子がいまいちとか。音響的にうまく共鳴できなかった、とか。

クリスマスは、マウンティングの場にあらず。

多分、元々が宗教的な家庭的な場であるキリスト教国や、教会周囲ではあまり強く表れないとは思うが、私が住み、日常を経験する日本の、特に都会の場面では時に強く印象付けられることが多いので、今、この時期の記事に書き留めておこうかと思う。

宗教的な強調が強くない事は、時には良い状況もあるかと思うが、クリスマスのこの時期は「何かちょっと違うのではないか」と思う出来事も多い。
バブルの時期程ではないとはいえ、クリスマスに恋人関係のイベントをやたらと強調する向きは未だに多い。
きれいな風景を楽しむのは別に恋人たちだけの特権ではないと思うが、そのような場に一人でたたずんでいると居たたまれない気持ちになることも多い。
そのような風景は、シングルであっても、ささやかな旧知の間柄を温めている友人たちであっても、分け隔てなく楽しめるのが良いと思うのだが、そういった人を時に邪魔者扱いする人が大抵はあらわれる。
自己顕示が醜く顕在化した人だと思うことにしているが、奇妙なマウンティングめいた所作を他人に直接向けないとしても、相手との会話で露骨に発言していたりする*1

街の至るところにクリスマスのシンボルがあらわれるので、心静かに過ごしたい人や、つらい思いをしている人は、この時期は肩身が狭くなったり、自分のいつもの散策ができなかったり、いつもの店に行けなくなったり、という事が実は起きていたりする。
いつもの静かな風景に、突如として派手なシンボルが現れ、人が集まっている場所は、必ずしもそれを歓迎する向きだけとは限らない。
かつてライトアップが行われていた場所が、あまりに来訪者の所業がひどすぎて中止になっていたり、という話題は、ニュースになってから時間がたつにつれて、忘れ去られてしまっている向きもあるようだが、実際に現実に発生した出来事でもある。

季節の雰囲気の出来事に心躍らせること自体は、特に悪いこととは思わない。
ただ、この世の中に住んでいる人は健康で、周囲に楽しいことが多く起き、多少の悪い出来事を強く打ち消して何度も大騒ぎできる人だけではない。この世の中から退場が近く、残り少ない人生を記憶にとどめ、静かに過ごしたい人もいる。楽しめない事情を持った人もいる。
総ての人にそういった事情がないのなら、自分の周囲の人に勝手なマウンティングをしようと勝手にしろ、と言うだけだが、そういった攻撃性に自分の身を守り切れるほど余裕を持った人だけではない。
教会がクリスマスの時期に無償の炊き出しをしたりするのは何故か、時には考えてみてもよいと思う。

勿論、恋人との語らいを止めろと言っている訳ではないよ。私も、恋人を得て、その相手と語らいをすることは望んでいることでもある。ただ、そのような状況に慢心して、違う境遇の人にマウンティングをするな、と主張しているだけだ。

*1:他者に気取られないように話すならともかく、何故大きな声で話す? 自己感情の興奮故かも知れないが、あまりにも露骨。 わざわざ録音するような悪行はしないので、証拠は示さないが。

備忘録 - 現場の能力低下の一因(最近のツィートより)


...現場に慣れたあたりで、その派遣労働者を切る、みたいな事を繰り返していると、どんどん現場が疲弊する、みたいな事が普通に起きるんですが、そういう状況を全く理解できない現場管理者というのがリアルに存在するのですけどね。