クリスマスは、マウンティングの場にあらず。

多分、元々が宗教的な家庭的な場であるキリスト教国や、教会周囲ではあまり強く表れないとは思うが、私が住み、日常を経験する日本の、特に都会の場面では時に強く印象付けられることが多いので、今、この時期の記事に書き留めておこうかと思う。

宗教的な強調が強くない事は、時には良い状況もあるかと思うが、クリスマスのこの時期は「何かちょっと違うのではないか」と思う出来事も多い。
バブルの時期程ではないとはいえ、クリスマスに恋人関係のイベントをやたらと強調する向きは未だに多い。
きれいな風景を楽しむのは別に恋人たちだけの特権ではないと思うが、そのような場に一人でたたずんでいると居たたまれない気持ちになることも多い。
そのような風景は、シングルであっても、ささやかな旧知の間柄を温めている友人たちであっても、分け隔てなく楽しめるのが良いと思うのだが、そういった人を時に邪魔者扱いする人が大抵はあらわれる。
自己顕示が醜く顕在化した人だと思うことにしているが、奇妙なマウンティングめいた所作を他人に直接向けないとしても、相手との会話で露骨に発言していたりする*1

街の至るところにクリスマスのシンボルがあらわれるので、心静かに過ごしたい人や、つらい思いをしている人は、この時期は肩身が狭くなったり、自分のいつもの散策ができなかったり、いつもの店に行けなくなったり、という事が実は起きていたりする。
いつもの静かな風景に、突如として派手なシンボルが現れ、人が集まっている場所は、必ずしもそれを歓迎する向きだけとは限らない。
かつてライトアップが行われていた場所が、あまりに来訪者の所業がひどすぎて中止になっていたり、という話題は、ニュースになってから時間がたつにつれて、忘れ去られてしまっている向きもあるようだが、実際に現実に発生した出来事でもある。

季節の雰囲気の出来事に心躍らせること自体は、特に悪いこととは思わない。
ただ、この世の中に住んでいる人は健康で、周囲に楽しいことが多く起き、多少の悪い出来事を強く打ち消して何度も大騒ぎできる人だけではない。この世の中から退場が近く、残り少ない人生を記憶にとどめ、静かに過ごしたい人もいる。楽しめない事情を持った人もいる。
総ての人にそういった事情がないのなら、自分の周囲の人に勝手なマウンティングをしようと勝手にしろ、と言うだけだが、そういった攻撃性に自分の身を守り切れるほど余裕を持った人だけではない。
教会がクリスマスの時期に無償の炊き出しをしたりするのは何故か、時には考えてみてもよいと思う。

勿論、恋人との語らいを止めろと言っている訳ではないよ。私も、恋人を得て、その相手と語らいをすることは望んでいることでもある。ただ、そのような状況に慢心して、違う境遇の人にマウンティングをするな、と主張しているだけだ。

*1:他者に気取られないように話すならともかく、何故大きな声で話す? 自己感情の興奮故かも知れないが、あまりにも露骨。 わざわざ録音するような悪行はしないので、証拠は示さないが。