「無罪の君が裁かれる理由」読後感想 - 冤罪に関しての入り口になり得るかもしれないが、そもそも探偵小説の限界?

ネタバレあります。ご注意ください。


刑事裁判に関して、そして冤罪について調べた事があるのなら、下記の事は知っているかもしれない。

虚偽自白、目撃者の誤認、偽記憶...

そして、上記の内容を知らない人は、どうか内容を調べてください。
内容を知った時、世の中で確実だと思われた事実・真実は、実は確実ではない、という気持ちに襲われるかもしれない内容ですから...。

例えば、人質司法と呼ばれる事項があります。

被疑者が犯行を否認した場合、勾留期間が長期になり、その期間で自己に不利な自白を強いられます*1
その自白は供述調書に取られ、それを取られる事により、そこから裁判に不利に働く根拠が起こされます*2
それは、結果として強く有罪判決に導かれる流れとなります*3

人質司法の中での自白強要は、虚偽自白の温床になると考えられています。実際の事例では足利事件などがあります*4

この探偵小説と思われる作品には、実際に起きえる、冤罪に繋がる人間の事実誤認の過程が描かれています。
それについて考えるきっかけ、思考の入り口にはなると思います。

ただし、人間の事実誤認について考えるのであれば、隔たり無く事実について思考する事が必要となります。今疑われている冤罪対象者の疑いが晴れたから、それで思考を止めて良い、という事ではありません。

そこで思考を止めてしまったら、新たに物語上に出現した被疑者に、新たな誤認を与えてしまう可能性があります。

つまり、主要登場人物から疑いが消えた段階で、疑う思考を止めて良いわけではないのです。
しかし、探偵小説で物語を適度な結末にもっていかなければならない、という必要性から、都合の良いところだけで思考への疑問が出されていて、その後のシーンで何故か疑問の行為が消えるので、「そこは疑いを持たなくていいの?」と感じる場面が、結構ありました。

また、現実に起きた事件を元に*5、「~が行われた」と登場人物が供述する場面があるのですが、知られている事実は限定的ですので、そこまで断定的になってしまっていいのか、と思う記述もありました。

国選弁護人の行動に不思議なところがあったり*6、演出だとは思いますが、う~ん、と悩んでしまう描写もあります。

また、世の中でまったく起きていない、とは思いませんが、警察内部の証拠偽造が大っぴらに出てきたりして、内容のリアリティを失わせるような雰囲気を醸し出してしまうのが、かなり残念に思えました。

冤罪というのは、事実誤認について、人間がいかに事実認識を間違うか、というリアリティが重要です。
事実認識を間違う、というのはとても普通に起こる、現実世界ではとてもリアルな出来事なので、物語上で絵空事の色が過剰に感じられてしまうと、そこで非現実性が増してしまい、それぞれの描写の間でちぐはぐ感が増しているように感じられました。

世の中に存在する冤罪について、探偵小説の中でテーマとして取り扱ってみよう、というのは大事な視点だと思います。
発想の入り口として気付かせてくれる、という方向性では良かったですが、その方向性を深めておらず、そこから実際の現実に起きうる事件内容を、多方向的な視点から考えてみる、までには至っていないのではないか、という感想を持ちました。

事例を、もっと深く掘り下げて欲しかったですね。


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*1:自白するまで勾留が続くので、被疑者の体を「人質」としている。この事から「人質」司法と呼ばれる。

*2:供述調書は裁判上で証拠として使われます。~の調書によれば、あなたは×〇と言っていますが、というように。

*3:ただし、取り調べの可視化の流れから、録画が行われて、防止策は取られている。しかし、根拠法 刑事訴訟法301条の2 に記載の通り、対象事件は限定的。条文範囲は長いので引用はしない。昭和二十三年法律第百三十一号 刑事訴訟法を見てください。

*4:足利事件の虚偽自白事例から取調べの科学化について考える 高木光太郎

*5:現実で起きた事例の類似描写になっているので、小説世界で起きた事例には思えないのですが、何故そういう描写にしたのでしょうか。どういう意図か図りかねて、混乱しました。

*6:被疑者意志を尊重していない方針を取ることがあるのかなあ、と思う。「減刑を勝ち取るために罪を認めるよう説得している(p.222)」と書かれているが。