感想 - 映画「ワンダー 君は太陽」

ネタバレします。ご注意ください。

聞く処によると、原作もそういう構成になっているようなのだが、この映画で良かったのは、実際に映画の中で情景的に描かれる登場人物の映像とは別に、本人の心の真意を明かす意図で描かれる途中のシーンがあったこと。

このシーンがあるお蔭で、ジャック、ヴィア、ミランダの実際に感じている気持ちが分かる仕組みになっている。現実では、実際の人間がどう考えているかは、本人以外の人間にとっては接した瞬間の情報しか得られない訳で。
実は葛藤があっての行動だったとしても、本音が別にあって、その瞬間だけ、それと違う印象の出来事になったとしても、実際の人間関係では、その瞬間しか見えないお蔭で、本人の葛藤や、本音がなかなか見えてこない。その結果、実際に本人が感じている感情や、行動が、まったく違う形で他人に伝わったりする。真逆の意味になってしまうことすらある。

オギーに接する姉ヴィアは、自分がなかなか顧みられない実情に不満を抱き、そんな状況を愛してくれる祖母を慕っていたのだが、祖母は既に居ない。ミランダも、ヴィアと自分との交流を断ち切りたい訳では無かったのだが、とある事情で、そういう状況を告げられずにいる。
そして、ジャックはオギーがそこにいたと知らずに「校長先生に頼まれたから、オギーと親しくしている」と発言してしまっているのだが、実は本音は別の処にあって。
“どんな話にも二面がある。...親友は守るべきものだ“

映画の中でも、校長先生がジャックに手紙で「物事には二面性があって...」と語るように、実際の出来事には色々な見方や、側面があるのですが、人はなかなかそれに気づけずにいる。そこに気付けるような描写の方法をとっていたのは、とても良かった。
ただ、その描写があるお蔭で、サマーや、他の登場人物の描写が薄くなってしまったのは、ちょっと残念。

後、よくよく観察すると気付くのだが、イジメをしかけるお金持ちの少年、ジュリアンはイジメを仕掛ける側の人間でもありながら、キッカケが有りさえすれば、下手をするとオギーと関係修復が出来そうな雰囲気を見せる部分があります。両親と一緒に校長先生と対峙した時に、他の学校へ移す、と両親が言い出した際の、校長とのやり取りに、その片鱗を感じます。
彼は、実は両親があんな感じでなければ、もしかしてオギーと関係修復できていたのかも、という見方も出来て、あの場面は、その場で映画からも退場する状況になった彼に対して、少し可哀相な気持ちになった場面でした。

オギーは最後に、各自への波及効果なども評価されて、メダルを授与される訳ですが、そこで思ったのは、オギーもそうですが、それ以外の周囲の登場人物も、各自が各自なりの考えを以って、ちゃんとそれぞれの考えで行動している側面がちゃんと描写されている、という事。

画一的で杓子定規な概念みたいな登場人物ではなく、各自の違う心の側面がそれぞれ表現されている、という点が印象に残りました。