正論と言ってしまう傲慢

あんまり良いまとめではないと思う*1ので、該当のまとめは特に紹介はしないが、「正論で殴る*2」について色々述べている内容があって、スタートラインから間違えているなあ、と思ったのですが。

そもそも「正論」って何ですかね? 誰が定義し、誰が評価している内容なんですかね? それをどうやって保証するんですかね?
それって、人それぞれ、場面それぞれで違いませんかね?

勿論、大体は正当な内容に思われる内容なんでしょうけど、賭けてもいいが、それぞれに頭の中で想定している内容は違いますよ*3
で、正しいからこそ、「殴って」良いと考えてしまっているのでしょ。

その内容が傲慢にならないと誰が保証してくれるんですかね。

少しでも「正論に近づきたい」のであれば、相互の認識のすり合わせは必須ですし、そこに話し合いの余地こそあれ、特定の事項で問答無用で殴る、みたいなイメージは無いですね。

その内容では、自己陶酔の自分の正論*4で相手を殴りたい、説教したい、という感情の欲求しか感じられないし、実際の内容もそうなってしまうのでは*5


本当に正しい道に進みたいのなら、双方ちゃんとバランス均衡をとって話し合いをするしかないし、相互理解なしに正解も無いでしょう。それがないのなら、単なる「殴る」だけの行為ですね。


「ピープルウェア」などの著作で丁寧に解説しようとしている内容は、実際、まったく違うものです。
そもそも正論なんて傲慢な用語*6は使われてないです。

ごろつきとかではないのですから、ちゃんと話し合うという解決をとりたいものです。そのような扱いをされた正論は、きっとパワハラと区別がつかないでしょう。
まあ、管理職研修では普通にやると思いますが*7

*1:それに内容があんまり関係ない

*2:そもそも、ここに殴る、が出てきている時点で加害性が明確なので、明らかに相手を攻撃していると思うのですが。

*3:それだから、一見向かう方向性が同じだという前提で話し合いがなされている。そもそも、現実の多様な選択肢は「正論」という一単語で解決できる内容になるとは到底思えない。

*4:つまり、実は正しいとは限らない

*5:面白いなあ、と思ったのですが、ほぼ自分は殴る方だと考えている節がある。ちゃんと考えれば両方あるはずなのに。

*6:だと思います。この言葉からは自分が述べている言葉が唯一正しいという感情しか感じ取れません。そもそも、論理的な言葉ですか?

*7:少なくとも私はやった。