映画「僕が愛したすべての君へ」「君を愛したひとりの僕へ」(私の鑑賞順)は、不完全な映画化という感想

あまり、細かく描写してはいないが、ネタバレではあるので、ご注意ください。


どうも小説の方は評判が良いらしく、物語の考察なども行われているようだ。
私は映画の方だけを、二作共に見たのですが、かなり印象が悪い。


そもそも、この物語は起きた事象が難解で、背景解説がないと、なんとも分かりにくい。

こういった場合、ひとまずは主だった分かりやすい筋を、物語上では強調し、後は控えめながら他の内容も描写だけはしておいて、深く観る人には分析できるようにする、みたいな手法が考えられる。
その他にも概念は難解ながらも、なんとか観客に分かってもらえるような何かを考える、みたいに工夫すると思われるのだが、両方の作品を、それも短い間隔で観てさえも、どうも工夫や丁寧さ、映画を彩らせる努力、みたいなものを感じることが出来なかった。

実際の映像では若干の演出違いがあるにせよ、二つの映画に共通する同じ映像の流れなんかもあったりして、私は何を見せられているのだろう、と感じた部分もあった。「君を愛したひとりの僕へ」の後半部に出現するアレとか。

また、隣接した並行世界との行き来が発生しているらしいのに、それが色々な世界線とは発生せず、ほぼ二つの世界と発生しているらしい*1のですが、そこの描写も、その理由があるので、多分そうだとは思うのですが、それが確信できないほどに、描写が薄く説明が目立たないので、本当にそうか? と思ってしまう。

別の世界から移動してきていても、移動は意識だけで、基本同一人物ののため*2、差異が見分けにくく、起こっている出来事も分岐点の差異だけのはずなので、各自の記憶違いも多分、あり得ず、これに嘘までが混じるので、今いる人がどこからの移動の人なのかも良くわからず、混乱する。
多分、小説の方はちゃんと描写があるのだろうが、物語にミスリードの分岐点が無数に存在している感じで、描写の工夫もないため、良くわからなかった。何か掘り下げの描写があるかと思えば、特にないし。


観た人で、置いてきぼりにされた気持ちになった人は居なかったのかな。
少なくとも、私はそう感じた。観た後で、考察のサイトをめぐって少しは理解したが、いまだに物語の全体像を理解できていない。

*1:多分。ここら辺はどうも自信がない。

*2:体の交換みたいなものか。