東京駅「KITTE」で、『キッテ』の贈り物 を聴く

東京駅近くのJPタワー商業施設「KITTE」のクリスマスツリー(14mくらいあるそうな)の前で、12/16(日)に、東京ヴィヴァルディ合奏団セレクトメンバーと、ソプラニスタ木村優一さんのミニ・コンサートがありました。
16:20の公演を横手で聴いていたのですが、音響設備のせいか、気分的にうまく乗り切れなかったか*1、少々迫力と言うか、音色的な色合いが欠けていて、心にあまり響かなかったのは残念。

木村優一さんのソプラノとしての生歌は初めて聴いたのですが、カウンターテナーと言うようなものではなく、本当に女声のソプラノ声なのですね。目をつぶって聞いていると、女性が歌っているように聴こえます。

中盤でグノーのアヴェ・マリアと、多分、ジュリオ・カッチーニアヴェ・マリアを歌ったのですが、グノーはともかく、カッチーニアヴェ・マリアの方がちょっと微妙で、アレンジのせいかちょっと高音側にずれていないかなあ、という感じがあった。
フル演奏を聴いたことはないので、コンサートなどでは良い演奏を聴かせてくれるのだと思いますが。多分、自分がいた位置の音響や、場所の雰囲気のせいもあるのかなあ、と思うので、本人の実力はこんな感じではないのだと思いますが、本日聴いた演奏は少々微妙な感じでした。

*1:ミュージシャン的な側面では、たまにあります。色々な要因が重なって、調子がいまいちとか。音響的にうまく共鳴できなかった、とか。

クリスマスは、マウンティングの場にあらず。

多分、元々が宗教的な家庭的な場であるキリスト教国や、教会周囲ではあまり強く表れないとは思うが、私が住み、日常を経験する日本の、特に都会の場面では時に強く印象付けられることが多いので、今、この時期の記事に書き留めておこうかと思う。

宗教的な強調が強くない事は、時には良い状況もあるかと思うが、クリスマスのこの時期は「何かちょっと違うのではないか」と思う出来事も多い。
バブルの時期程ではないとはいえ、クリスマスに恋人関係のイベントをやたらと強調する向きは未だに多い。
きれいな風景を楽しむのは別に恋人たちだけの特権ではないと思うが、そのような場に一人でたたずんでいると居たたまれない気持ちになることも多い。
そのような風景は、シングルであっても、ささやかな旧知の間柄を温めている友人たちであっても、分け隔てなく楽しめるのが良いと思うのだが、そういった人を時に邪魔者扱いする人が大抵はあらわれる。
自己顕示が醜く顕在化した人だと思うことにしているが、奇妙なマウンティングめいた所作を他人に直接向けないとしても、相手との会話で露骨に発言していたりする*1

街の至るところにクリスマスのシンボルがあらわれるので、心静かに過ごしたい人や、つらい思いをしている人は、この時期は肩身が狭くなったり、自分のいつもの散策ができなかったり、いつもの店に行けなくなったり、という事が実は起きていたりする。
いつもの静かな風景に、突如として派手なシンボルが現れ、人が集まっている場所は、必ずしもそれを歓迎する向きだけとは限らない。
かつてライトアップが行われていた場所が、あまりに来訪者の所業がひどすぎて中止になっていたり、という話題は、ニュースになってから時間がたつにつれて、忘れ去られてしまっている向きもあるようだが、実際に現実に発生した出来事でもある。

季節の雰囲気の出来事に心躍らせること自体は、特に悪いこととは思わない。
ただ、この世の中に住んでいる人は健康で、周囲に楽しいことが多く起き、多少の悪い出来事を強く打ち消して何度も大騒ぎできる人だけではない。この世の中から退場が近く、残り少ない人生を記憶にとどめ、静かに過ごしたい人もいる。楽しめない事情を持った人もいる。
総ての人にそういった事情がないのなら、自分の周囲の人に勝手なマウンティングをしようと勝手にしろ、と言うだけだが、そういった攻撃性に自分の身を守り切れるほど余裕を持った人だけではない。
教会がクリスマスの時期に無償の炊き出しをしたりするのは何故か、時には考えてみてもよいと思う。

勿論、恋人との語らいを止めろと言っている訳ではないよ。私も、恋人を得て、その相手と語らいをすることは望んでいることでもある。ただ、そのような状況に慢心して、違う境遇の人にマウンティングをするな、と主張しているだけだ。

*1:他者に気取られないように話すならともかく、何故大きな声で話す? 自己感情の興奮故かも知れないが、あまりにも露骨。 わざわざ録音するような悪行はしないので、証拠は示さないが。

備忘録 - 現場の能力低下の一因(最近のツィートより)


...現場に慣れたあたりで、その派遣労働者を切る、みたいな事を繰り返していると、どんどん現場が疲弊する、みたいな事が普通に起きるんですが、そういう状況を全く理解できない現場管理者というのがリアルに存在するのですけどね。

経鼻ワクチン自体は苦戦中の模様(米CDC)

勿論、これは一面の事実だけなので、多数の情報を集めた場合に別の側面が見えてくる可能性を含んだ話ですが。

ワクチンに誘導される免疫機構(IgA/IgG) - luckdragon2009’s blog(日々のスケッチブック) でも出てくる経鼻ワクチンですが、米CDCの最近の動きを見ていると、苦戦中という印象も持ちます。2016~2017年には、推奨を取り下げているようですね。「ACIP votes down use of LAIV for 2016-2017 flu season」と言っています。

ACIP votes down use of LAIV for 2016-2017 flu season | CDC Online Newsroom | CDC より。

CDC’s Advisory Committee on Immunization Practices (ACIP) today voted that live attenuated influenza vaccine (LAIV), also known as the “nasal spray” flu vaccine, should not be used during the 2016-2017 flu season. ACIP continues to recommend annual flu vaccination, with either the inactivated influenza vaccine (IIV) or recombinant influenza vaccine (RIV), for everyone 6 months and older.
ACIP is a panel of immunization experts that advises the Centers for Disease Control and Prevention (CDC). This ACIP vote is based on data showing poor or relatively lower effectiveness of LAIV from 2013 through 2016.

https://www.cdc.gov/media/releases/2016/s0622-laiv-flu.html

2013~2016年にかけての効果を評価した結果、LAIV(経鼻ワクチン)に対してはあまり効果が認められず、すべきとは言えない、推奨をすることができない、と書かれています。メーカーの方では反論をしている話も聞くのですが、過去の評価ではその内容になっています。

とはいえ、米CDCは 2018~2019年については再度、推奨を行う方針に変更しています。
このように、暗い話ばかりではないのですが、新方式のワクチンでもあり、なかなか順風万端とはいかないようです。


新しい薬剤、治療内容というのは確立するまでに色々努力が必要だったりするので、まあ、ありがちな話ではあるのですが、簡単に一喜一憂せずに冷静に情報を評価したいものです。

ワクチンに誘導される免疫機構(IgA/IgG)

ワクチンはウィルス情報を元に、人体にウィルスが感染した状態と類似の免疫機構を備えさせることを目的としています。

実際に感染症に罹患しても、免疫機構にウィルスに対する免疫機構が記憶され、次に同じウィルスに感染した時にはその記憶から免疫機構が稼働し、即時にウィルスを退治しようとする体内機構が働きます。

ただし、その場合には最初の感染の時にウィルスが体中に感染、増殖する事を防ぐ事は出来ず、ウィルスの害自体をもろに受けてしまうため、多くの人が死んだり、障害を受けたり、子供に影響が出たり、という多大な悪影響が発生してしまいます*1

そうならないために、ワクチンではウィルスの害を排除した上でウィルス自身の情報は残し、それを体中に入れる事で感染したのと同様な免疫の働きを起こさせ、本物のウィルスに出会ってしまった時に、身体の免疫機構を稼働させ、感染症に対処できるようにします。

この時に誘導される体中物質に免疫グロブリンというものがあります。免疫グロブリンは IgG、IgA、IgM、IgD、IgE の五種類があります。

免疫グロブリンについて 一般社団法人日本血液製剤協会

免疫の中で大きな役割を担っているのが免疫グロブリン(Immunoglobulin、略称Ig)で、血液中や組織液中に存在しています。
免疫グロブリンには、IgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類があり、それぞれの分子量、その働く場所・時期にも違いがあります。

http://www.ketsukyo.or.jp/plasma/globulin/glo_03.html

ワクチンではウィルスへの免疫を備えるために、上記の免疫グロブリンを誘導する機能を備えている訳ですが、注射型のワクチンでは残念ながら IgG を誘導する機能しか備える事ができません。

現在のワクチンでは、それでもかなり有効に感染症の害を抑え込めている訳ですが、IgG の機能の関係上、ウィルスの感染自体は実は抑えておらず、感染した後のウィルスの増殖を抑え込み、人への悪影響を阻止している、という方式で感染症へ備えています。つまり感染はするが、その直後に免疫機構がすぐさま反応しウィルスの増殖を阻止するので、結果としては感染していないのとほぼ同等の効果を生んでいる、という事になります。

この事はワクチン新規開発の課題ともなっており、この事から粘液膜で働く IgA を誘導できるワクチンが開発中となっています。現在、製品が開発され臨床研究中になっているものとしては経鼻ワクチンがあります。

経鼻ワクチンでは粘膜での IgA を誘導し、感染自体も防御することを目的としているようです。まだまだ製品化、臨床試験の過程がありますので、すぐに製品が用意できるわけではありません*2が、近い将来に変化があるかも知れません。

参考資料リンク

インフルエンザの次世代経鼻ワクチンを開発中 | 特集記事 | NatureJapanJobs | Nature Research
「次世代ワクチンとしての経鼻インフルエンザワクチン」 長谷川秀樹 国立感染症研究所 感染病理部 厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会研究開発及び生産・流通部会 平成26年5月23日

*1:局所的な集団で時々喧伝される自然感染での免疫獲得は、この点をまったく無視した暴論です。

*2:他国では承認製品が存在する場合もある。

街並みも、道行く人も、変わらないように見えて、実は。

人の体は一見常に同じように見えても、細胞が絶えず交換されて、そう見えるだけ、というのはどのくらいの人が意識しているのだろうか。小鳥などの寿命は短く、良く似た鳥が同じ餌場にやって来ていても、それは同じ鳥ではない。野良猫などでは、もうちょっと時間の単位は長いが、やはり良く見た猫がいつの間に消え、新参の猫にとって代わられている、という事は起きていて、同じ情景が常にある訳ではない。
アガサ・クリスティの「バートラム・ホテルにて」でも、ミス・マープルが街の移り変わりや、その街区に住んでいた人の移り変わりを嘆く描写がある*1。田舎はともかく首都圏あたりだと、街並みの変化は激しい。ごく普通の一軒家でも、人が亡くなったりすれば、長くそこにあった家でも、短い間に取り壊され、あまり長くない時間の後に、まったく違う家族が住む家が出現する。
通勤で同じ時間帯に列車を使えば、一見同じような人に会えるような気がする。が、季節によって人は変化するし、やはりずっと同じ人たちではない。
よくよく考えてみると、人の寿命からして、そこを行き交う人はずっと同じではない。でも、一見、似た集団がそこに居るように見えるのは、古い人が消えても、新しい人が現れているから。


でも、意外に人はそれを考えない。自分自身に寿命があることを、存在が永遠ではない事を考えたくない、という心理もあるのだろう。が、それ以上に、毎日継続されている事が、次第に変わっていく事について、考える習慣がなかなか無い事も、それに起因していると思う。
一見、ずっと似たような情景が続くように見えても、そこに居る人は入れ替わっている。同じ人が永遠にそこに居るわけではない。

その意味を時々は考えるようにしたい。

*1:そもそも、バートラム・ホテル自身が、そういう失われた情景を保っている演出がなされた設定であり、ある意味、この作品は、そういった情景が幻想である事を示しているとも言える。