街並みも、道行く人も、変わらないように見えて、実は。

人の体は一見常に同じように見えても、細胞が絶えず交換されて、そう見えるだけ、というのはどのくらいの人が意識しているのだろうか。小鳥などの寿命は短く、良く似た鳥が同じ餌場にやって来ていても、それは同じ鳥ではない。野良猫などでは、もうちょっと時間の単位は長いが、やはり良く見た猫がいつの間に消え、新参の猫にとって代わられている、という事は起きていて、同じ情景が常にある訳ではない。
アガサ・クリスティの「バートラム・ホテルにて」でも、ミス・マープルが街の移り変わりや、その街区に住んでいた人の移り変わりを嘆く描写がある*1。田舎はともかく首都圏あたりだと、街並みの変化は激しい。ごく普通の一軒家でも、人が亡くなったりすれば、長くそこにあった家でも、短い間に取り壊され、あまり長くない時間の後に、まったく違う家族が住む家が出現する。
通勤で同じ時間帯に列車を使えば、一見同じような人に会えるような気がする。が、季節によって人は変化するし、やはりずっと同じ人たちではない。
よくよく考えてみると、人の寿命からして、そこを行き交う人はずっと同じではない。でも、一見、似た集団がそこに居るように見えるのは、古い人が消えても、新しい人が現れているから。


でも、意外に人はそれを考えない。自分自身に寿命があることを、存在が永遠ではない事を考えたくない、という心理もあるのだろう。が、それ以上に、毎日継続されている事が、次第に変わっていく事について、考える習慣がなかなか無い事も、それに起因していると思う。
一見、ずっと似たような情景が続くように見えても、そこに居る人は入れ替わっている。同じ人が永遠にそこに居るわけではない。

その意味を時々は考えるようにしたい。

*1:そもそも、バートラム・ホテル自身が、そういう失われた情景を保っている演出がなされた設定であり、ある意味、この作品は、そういった情景が幻想である事を示しているとも言える。